連載第8回目は、初めて参加したNAUI ITCで不合格になりながらも、二度目のチャレンジで見事合格。
その後、関西を中心にNAUIコースディレクターとして活躍。
現在は、和歌山県・紀伊大島の「須江ダイビングセンター」と、都市型ショップ「La-goon」(和歌山)を運営する(有)エストレンの代表を務めている、倉田 比呂志氏(#10646)です。
50周年おめでとうございます。NAUI創立より50年という半世紀を積み重ねて来られた素晴らしい諸先輩に敬意を表します。
そして、今まで僕を支え育て、励ましてくれたこと、この場をお借りして心からお礼申し上げます。
また、50年間という時空間をサポートしていただいたバックヤードの皆様におきましても強く感謝しております。これからも縁の下の力持ち、よろしくお願いいたします。
それから、僕はこの世に存在しない50年後にNAUI100周年を祝い、引き継いでくれる後輩たちの存在を願望いたします。
さて、1960年といえば僕は2歳でした。その頃のことは何も覚えてはいませんが、NAUI創設の年、僕は腸炎で骨と皮だけになり生死を分ける治療を受けていたようです。今思えば、素直に『生きてて良かった』と・・・。
また、NAUIインストラクターとして21年間生きてこれたことの喜びを感じ、僕を生かしていただいた数多くのお客様に感謝しております。
21年前、インストラクターになって生活が苦しくて、朝から鍍金(メッキ)工場、夕方から本業のショップ勤めをして、深夜喫茶のアルバイト。吉本興業の芸人が下積の時代を過ごすように、華々しい将来を夢見ていました。
僕の下積み時代は『笑顔で自分を励ませる思い出』になっていて、今は幸せなダイバー人生を過ごせています。はい、やっぱり『お客様に感謝です』
僕は、NAUIが日本にきたことも知らない。NAUIって何なのかも知らない。全くダイビングに無恥だった1982年、24歳でNAUIダイバーに認定していただきました。当時、指導し認定をいただいたのは、大阪にあった「マリンサービス」の市川勝彦(#6129)さんでした。素晴らしい人柄と指導力、ダイビングセンスを兼ね備えた市川さんを目の当たりにして、『市川さんみたいになりたいっ』って強く思ったことを忘れられません。
そして、萩野寛司(#7310)さんの解り易くやさしい指導力で、がむしゃらな僕を導いてくれ、1988年の夏、伊豆大島で『やっと』NAUIインストラクターになれました。
『やっと』というのは、同年4月の西表島ITCで落ちちゃったんです。今思えば『当然やな』って。
1999年6月 シーサー様主催のITC
受講生12名 スタッフ6名
2段目左 ディレクターの中村氏でその上が僕です。95年6月より5年間にわたり年2回のITCに参加させていただきました。
僕にとって素晴らしい経験をいただきました。
不合格になった西表島のITCは、衝撃的で、僕はその日その日のカリキュラムを消化するだけで精一杯でした。(内容を話すと長くなりすぎてしまいますので簡単に)
僕は、そこそこ潜りに自信があったから西表島まで行ったのですが、当時、ITCの前段に受けるIPC(インストラクタープレパラートリーコース)の3日間を終えたとき、『これは勝ち目が無い』って敗北宣言しそうでした。体の筋肉が悲鳴を上げ、集中力は低下し、睡眠不足で食事もしっかり取れない、自信が薄れて緊張感で震えだしました。でも、その西表島のITCで、自分の実力をしっかりつかむことができました。
スタッフには、大島(#8382:ダイブチームうなりざき)さん、竹内(#8386:TAKEダイビングスクール)さん、矢野(#7485:ダイブサービスYANO)さんなど、僕の知らなかった凄いナウイ人が見守ってくれていました。
西表島も、受かった伊豆大島も、コースディレクターは村田幸雄(#4670:ダイブチームムラタ)さんです。皆さんご存知だと思います。
村田幸雄さんから頂いた西表ITCの最終評価は『もう一度、ITCを受講しなさい』という印籠、そして、『倉田君はきっと素晴らしいインストラクターになるよ』なんて、口の中ですぐ溶けて無くなりそうな程、甘い黒糖飴のような言葉を頂きました。
僕の目先は真っ暗、しかし、先には明るい日差しがあるような気持ちと8月の伊豆で必ずNAUIインストラクターになってやる決意を抱いて、西表島から帰ったのも忘れられない人生の1コマです。『あのとき、西表ITCで合格していたら・・・今の僕は、居ないなぁ』って、今も想える『忘れられない僕にとってのNAUI』です。
あれから年月は過ぎて現在は、和歌山県・紀伊大島の「須江ダイビングセンター」と、都市型ショップ「La-goon」(和歌山)を運営する(有)エストレンの代表を務めています。決して経営者には向いていない僕だけれど助けられながら頑張っています。
NAUIインストラクターに合格した88年の夏、伊豆大島から胸をはって意気揚々と帰ってきた僕には欲望が渦巻いていました。
毎日でも潜りたい。毎日でもインストラクションしていたい。日々オーバーホール作業でも楽しい。素潜りで30mを超えたい。ベイルアウトが誰よりも上手になりたい。
美しいフィンワークで早く水面を泳ぎたい。全てのお客様に『倉田君は教えんのん上手やでぇ』と言ってもらいたい。必要以上のお金なんか要らないから、もっと、もっと自分を育てられる環境が欲しい。
僕は、自分自身の欲望を満たすために5年間精一杯生きて、そして、自分で『俺は凄なってきた』って自惚れ始めていました。
その世間知らずだった、僕の自惚れが頂点に近くなったころ、ICCスタッフを経て、1994年に初めてITCスタッフに使っていただきました。ここで、この場をお借り致しましてお礼申し上げます。
下村一三(#6126)さん、山中康司(#8084)さん、『あのときに教えていただいた数々、今も使ってます』 『感謝しております、ありがとうございました』
その後、僕の欲望はICCやITCスタッフを経験すればする程に強くなりました。
『最高のデモができるようになりたい』 『指導法概論をより解りやすく伝えたい』 『もっと指導力を高めたい』目標は次々と芽生えだしました。そうですねぇ、あの頃の僕を振り返れば賛美してあげたい。いやー、やっぱり、反省も多いです。
僕にとってNAUIが存在したことよりも、諸先輩方のNAUIポリシーがあったから、ここまで生きてきたのかもしれませんね。ちがう、ちがう、良くない表現でした。NAUIが無かったら先輩方も僕も無かったんです。すみません。
NAUIインストラクターになって21年が経ち成人式を終えた僕が新たに持っている欲望。それは、あと10年間でいいから現役。これからも素晴しいインストラクターを育てたい。会社を大きくしたい。自社ビルが欲しい。自分の家に、信楽焼の浴槽と檜を使った露天風呂をつくりたい。ばかばかしい欲望もありますが、達成目標が明確な責務もあります。
僕の『若かったころの自惚れ』は良かったのだろうか、将来の最終結果は分かりませんが、僕のウヌボレはもう消えてしまっています。
一歩一歩、ほんの僅かでもいい、前進しているという喜びと共にくる安堵感。急成長する自分を観て驚き、不安を持ちながらもスピード感のある満足度。地道な努力を続けることのできる、楽しく責任感のある仕事量。そんな『これから』をNAUIと共に生きてゆきたいです。これからも変わることの無い我々の方程式があるとすれば、お客様にとって信頼のあるインストラクターであること。お客様から信頼感を戴き、継続できるNAUIのインストラクターが多いほど、この業界への影響力は計り知れない。僕だけではなく、皆さんも大好きな言葉ですよね。『最愛の人を任せられる信頼』。だから僕はNAUIインストラクターであり続けたい。
コースディレクターなんて肩書きより、僕はNAUIインストラクターであるという誇りを大切に守ってゆきたい。僕にとって、残っているであろうダイバー人生をNAUIと共に歩んでゆきたい。これからも精一杯頑張って僕自身を成長させてゆくことが、全ての皆様への恩返しです。
乱文で文才もなく、最後まで目を通していただいた皆様にお礼申し上げます。
ありがとうございました。
#10646 倉田 比呂志