連載第15回は、『マリンダイビング』の人気連載「スキルアップ寺子屋」の和尚として多くの初心者ダイバーの支持を受け、「ダイビング・ドット・コミュ」の編集長としても活躍中の寺山 英樹さんです。(NAUI INSTRUCTOR ♯28454)
NAUI創立50周年、おめでとうございます。
また、業界の礎を築いてきたような先輩方に交じって寄稿させていただき恐縮しきりです。
僕とNAUIの出会いは、イコール「法政大学アクアダイビングクラブ」(以下:法政アクア)との出会い。というのも、クラブのアドバイザー的立場であったOBの山中康司氏は当時NAUIのコースディレクターであったし、クラブがお世話になっていた「Doスポーツプラザ」にはNAUIのイントラが多く所属していた。また、OBや現役の先輩たちの中にもNAUIのイントラは多く、クラブをサポートしていただいていたからだ。そして、先輩たちは、皆、NAUIに誇りを持っていた。
法政アクアとの出会い。それはとても単純で、ずっと剣道しかしてこなかったので、せめて大学は華やかなことをしよう、そして、海なし県出身としては、ダイビングかヨットだろうと思っていたところに、日に焼けたかわいい先輩の勧誘にフラフラと乗っかっただけのこと。僕はただ華やかなことがしたかっただけなのだ。そして、彼女なんかできちゃったら最高だなと。更に、こんな素敵な女の先輩たちに、「お・い・で」なんて言われることがあるのか!あるかもね~!って、バカ!そう。ダイビング自体というより、それを取り巻く浮ついた環境に期待をしていただけのことだった。
僕はクラブが設立して32年目に入部したわけだから、当然、ダイビングを取り巻く環境は当初とは一変している。僕が入部した14年前は、バブルははじけていたとはいえ、「彼女が水着にきがえたら」の影響はまだ続いており、ダイビングに対して華やかなイメージしかない。しかし、そのイメージと黎明期のダイビング界のパイオニアだった初期の先輩たちのダイビング観との乖離はすさまじかった。
今思えば、この頃は、ダイビング業界全体の転換期であり、指導団体も教育と商売の狭間で試行錯誤している時期だったのかもしれない。ダイビング自体、冒険であるはずだったダイビングがレジャーに変わりつつあり、それは硬派から軟派への移行であり、クラブもその狭間で揺れていた。
新入生歓迎コンパであれほど優しかった先輩たちは、入部したとたんに一変する。初めてのミーティング。新入生はこれから始まるであろう華やかなキャンパスライフにウキウキしていると、主将がテーブルを殴りつけ、「お前らぶったるんじゃね~~!」。びっくりした。あ、あの。ダイビングするクラブですよね……。こうして、主将の大声と共に、12人から最後は3人になってしまう、 ダイビングクラブどっぷりの4年間が始まるのだった。
法政アクアに入部してからは驚きと試練の連続だった。入部して最初の試練は関東学生潜水連盟総会。総会の新人お披露目で壇上に上げられ加盟校メンバー数百人の前で挨拶するのだが、我が主将は言う。「負けんじゃねーぞ」。一体、何に勝てばいいのだろう……。新入生歓迎会では、ビールのラベルが自分の方を向いていたことで上級生からこっぴどく叱られ、OBからはロン毛をなじられる。「この髪型はなんだ!こんな長髪はアクアの魂じゃねぇ。チャラチャラしやがって~~~」。アクアの魂の髪型ってどんなん……。規律は厳しく、1秒でも遅刻すれば人格を否定されるほど叱られ、週2回のフリッパー練習は辛く、前を泳ぐ女性の先輩を見ることだけが楽しみだった。合宿はなぜかウエイト持参だったので、腰に6㌔も巻いて電車で出かけ、東海汽船の甲板で大声で校歌斉唱。合宿地に着けば、大声で走りながら器材を運び、夜は「兄弟の杯」で酒を浴びるほど飲まされ、最終日には海に向かって感謝を述べさせられる。「海~、お前のおかげで成長できましたよ~!」って、もう何のこっちゃわからない。
なぜ、法政アクアの思い出を語ったか。それは、法政アクアのイメージがNAUIのイメージと直結していたから。先述したように、先輩は皆NAUIのイントラで、普段からNAUIのシャツや帽子をかぶったりしている。更に、後に僕がインストラクターコースを受けたとき、コースディレクターであった《ダイブチームムラタ》の村田幸雄先生は、まさに先生という感じで、圧倒的な知識と威厳があり、お話するのも緊張した。今でも電話がかかってくると、背筋が伸び、何も悪いことをしていないのについ「怒られる!」と思ってしまう(笑)。
対して、僕がプールで見た他団体のイントラコースは何だか楽しそうだった。コースディレクターがイントラ講習生をファーストネームでちゃん付けで呼び、じゃれ合ったりしているのだ。これは衝撃だった。学生時代、僕の中では、NAUIはマジメで硬派。接するイントラはおもしろそうで、おっかなそうだった(笑)。
それはイントラのカリキュラムにも表れていて、他団体のそれは「ゴールだけでなく過程のプログラムも決まっている」のに対し、NAUIは「ゴールだけがあり、過程はイントラが試行錯誤する」。当時の僕は、NAUIは、マニュアル・イントラではなく、考えるイントラを生もうとしているのだと思った。
大学4年になり、何か4年間の形を残そうとイントラ取得を決意。もちろん、迷うことなくNAUI。というより、それ以外の選択肢は考えられなかった。
ITCは就職活動の影響で、村田幸雄氏と山中康司氏で半分半分。今、村田氏に聞くと「あれ?ITC出したのって山中だよね?」と言われ、山中氏に聞くと「いや、ITC出したのは村田さんでしょ?」と押し付けあいされるのはご愛敬(泣&笑)。
しかし、IQC試験(指導団体によるイントラ試験)に落ちてしまう……。試験の中に「トラブルの発見&対処」というのがあって、 トレーナーに耳打ちされたトラブル役の生徒が、わざとらしくトラブルを起こす。それを発見して対処するというわけだ。 しかし、僕はなぜかそのことを知らず(後で理由はわかったが)、バディ役の人がスノーケルで潜降するのを見て、「バカだな~」くらいに思って見ていたのだが、バカはこっち(赤面)。その後、自分がトラブル役になったとき、トレーナーにトラブルを耳打ちされて、「え、そういうことなの!」と理解したが、後の祭り。まあ、何はともあれ、実力がなかったのだ。
その後、沖縄でIQCを受けなおして、何とか無事合格。
大学4年のときは、バイトで専門学生を相手のインストラクションをしたり、伊豆海洋公園の「GO TO THE SEA」の横田雅臣氏の元で手伝いをさせていただいた後、㈱水中造形センターに就職。『マリンダイビング』編集部に配属されることとなる。
法政アクアでの経験とインストラクターとしての知識は編集部でとても役にたった。また、法政アクアのOBにはダイビング界で活躍する人も多く、ダイビングサービスのオーナーはもちろん、NAUIの会長、安全潜水協会の会長、水中カメラマン、水中レポーターなどなどダイビングを通じて様々な分野で活躍している。学連出身まで含めると、更に大きな人脈となり、取材で「法政アクア出身です」と言って何度助けられたかわからない。おもしろおかしく書いてきた法政アクアの経験だが、それも愛着があるからこそ。今ではとても感謝している。
そんな、法政アクアの経験に助けられ編集部で四苦八苦しているときのこと。
初心者のころからマスククリアが苦手なストレスダイバーで、イントラになろうとすればIQCに落ち、イントラになっても講習性をロストしたりと、落ちこぼれダイバーの道をひた走ってきたが、ふと気がつく。「この経験は逆に役に立つのでは?」。そして、『マリンダイビング』でダイビングのスキルを伝授&お悩みにお答えする「スキルアップ寺子屋」の連載が始まることとなる。失敗だらけのダイビング人生を歩んできたが、だからこそヘタッピなダイバーの気持ちがよ~く分かるという棚ボタのノウハウが生きることとなったのだ。
この連載で書いているスキルの内容は、ほとんど大学時代にクラブで身につけたこと。「ダイビングの基本はスキンダイビング」、「計画潜水の重要性」などなど、ダイバーとしての基本は、NAUIイントラの先輩に教えていただいたことばかりだ。
幸い、読者に好評を得た連載はすでに7年以上も続き、単行本2冊にまとまったが、そのエッセンスは、法政アクア、NAUIの先輩の方々の教えにある。
指導団体の違いというものはもはや時代錯誤で、どの指導団体でインストラクターになっても最後は本人次第というのは言うまでもない。
ただ、僕がこれまで魅力的だと感じ、いろいろ教えていただいたイントラやガイドの多くがNAUIの方々であるのは間違いのない事実。以前、高木沙耶さん(今は益戸さん)がNAUIのイメージキャラクターになったとき、「NAUIのイントラが皆おもしろくて魅力的な人ばかりだった」 と語ったが、僕も全く同感だ。
今までのダイバー人生、「ムカつくけれども、言っていることもやっていることもかなわない」NAUIの先輩方の背中に追いつきたくて、魅力あるNAUIのガイドやイントラに褒められたくて、そして、NAUIのコースディレクターに教えられ、日々そうした方々に憧れながら今までやってきました。これからも、多くの魅力あるプロを輩出するNAUIであることを切に願っています。
寺山 英樹氏(#28454)