連載第20回目は、今年創刊30周年を迎えたダイビング雑誌「月刊ダイバー」で企画営業職として勤務する、
青木 伸一氏(NAUI INSTRUCTOR #34839)です。
自分のような若輩者が諸先輩に交じり寄稿することは、大変恐縮ではございますが、おめでたい席でのことですので、謹んでお受けさせていただきたいと思います。
自分とダイビングとの出会いは、17年前になります。正確には「ダイビング」にではなく「潜水」にです。大学を出てすぐに就職した会社は、マリンコンサルタントで電力会社の取放水設備(発電機の冷却水を取り込んだり、放水したりするもの)の設計・施工管理を主に行っていました。作業の場所は海の中。私は潜る作業ではありませんでしたが、そこにドライスーツ(当時はよくわかっていなかったのですが)にハーネスで潜る作業ダイバー(潜水士)を目にする機会がありました。初めて行った現場が、三重県川越火力発電所で視界が1mほどしかない環境だったこともあり、「潜るのって大変な作業なんだ」という印象しかありませんでした。毎日海に出て、労働基準監督署の書式で潜水計画を記録して、咽喉マイクで潜水士とやり取りをする毎日。水中からのダイバーの呼びかけに「(ダイバーが何を言ったか聞き取れずに)分かりません
と答えてしまい、怒鳴られた覚えがあります。
それから数年後、26才のときに長期出張で沖縄に行きました。「せっかく沖縄にきたのだから潜ってみないと」ということになり、まずは体験ダイビングです。実は現場や他の地域で潜ったことは何度かありましたが、レジャーの形で潜ることとボートから潜ることは初めてでやや緊張していました。 沖縄本島・水納島でやった体験ダイビングは別世界でした。当時はサンゴがまだまだ元気で、まさに竜宮城でした(に見えました)。「これは面白そうだ」となって先輩達とダイビングショップを探し、Cカード取得することになったのです。工事現場の仕事は、毎週日曜日が休みでした。週に1回の休みでしたが沖縄という恵まれた環境にいたこともあり、NAUIスクーバダイバー講習を終えても毎週のように潜りに行っていました。そのときに潜ることの楽しさと、自分自身へのリスクを受け入れること、周囲への気配りを教えてくださったマリンハウスシーサーの石川さんには感謝しています。
沖縄ではDMまで取得、東京に戻り週末は伊豆通いのダイビング生活を送っていました。伊豆半島や神奈川のダイブサイトを、ポイント、ダイビングスタイル、ローカルルール、ガイドさんたちなどを少しずつ見て回っていました。このときまだインストラクターを目指していませんでした。なぜならば経験も知識も圧倒的に足りないですし、覚悟もないと思っていたからです。 石川さんからも「焦ってインストラクターを目指す必要はありません。プロ(DM)になってからのお金を出して(色々と潜りに行って)の経験が自分に身に着くのです。そこから考えて自分で判断してみればよいのではないでしょうか?」
と頂いていたので、その答えを探すべく出かけていました。(といいますか、それを自分自身への言い訳にして潜りまくっていただけかもしれません)
そんな中、ガイドとしての先生に伊豆で巡り逢いました。コーラルシーの平原さんです。海の中を、伊豆海洋公園(I.O.P.)を楽しんでもらうために全力を尽くし、一生懸命なガイドをする人です。また居心地のよいお店を作ること、お迎えすること、海の中以外でも「現地にダイビングに来て楽しんでもらう」ことをいつも考えています。伊豆は沖縄と比べて透明度が著しく悪いときもあります。ときには1mくらいしか見えません。そんなことがあるポイントでも、ゲストがリピートしてくれる人間力とガイド力に惹かれました。
その中で次第に「この中で楽しさを人に伝える仕事をしてみたい」と考えるようになり、インストラクターに向けて現地で丁稚奉公を始め、沖縄に再び行きITCを受けることになります。
インストラクターになり、短い間でしたがガイドの勉強をさせていただきました。
自立してダイビングショップを構える覚悟もありませんでしたが、ダイビングには関わって仕事をしたいと思い関東のショップに勤務することになりました。ここではインストラクター、ガイドとしてではなく販売員です。現地にいて使いやすかったと思う器材や、お客様のスタイルに合ったものをご提案できればと日々考えていたことを覚えております。その中では、ただ販売すればよいのではなく「お客様が今後もダイビングを通じて楽しい人生を過ごしていただける」ような接客をすることを学びました。今までに見たこともないた器材、カメラ機材たちも多く、その都度メーカーさんにご説明いただきました。開発の苦労話なども聞けて販売の際にお客様にお伝えもしました。
その後商品を販売する部署から、ダイビング雑誌を発行する会社に転籍することになります。今までの仕事とは全く勝手が違い、広告営業として掲載していただける広告をご提案する部署です。もともと技術職でしたので、最初は何も分からずにひたすらお客様にご挨拶回りをしていました。雑誌作りも新体制で臨んでいた時期でもあり、厳しいご意見やためになる様々なお言葉を賜りました。色々な方にお会いするたびに、一喜一憂していました。思えば、あの時期があっての今の自分だと感謝しています。
外に出てお客様とお話をする中で、「お客さんが減った」とか「新規のダイバーが増えない」という言葉を耳にします。確かに日本のレジャーの中でダイビング人口は多いとは言えません。また以前のような数では増加はしておりません。しかし現状は、ダイビングをやりたくない人が増えたわけではなく、他にも魅力のあるものが多く外に発信されはじめたのだと思います。メディアの幅が広がり情報量も増え、発信スピードも変化しました。お客様のニーズに合せたり、引き出すことが不可欠になってきています。ダイビング業界も、お客様に手を差し伸べて「感動を体験していただけるよう動かなければならない時期ではないでしょうか。当然、雑誌にも同じことが言えます。同じ情報・同じポイントの焼き直しではない新提案を掲げ続けなければなりません。
新しいことなんて今更できるか!」「そんなことはすでにやっているよ。」と言う方もいらっしゃるかもしれません。人間で50歳といえば少々頭が固くなる年齢ですが、NAUIがこれからもNAUIらしくあり、ダイビングをもっと広めるためにも、よいものを踏襲し、新しいものを作り続けていけるようNAUIインストラクターの末端としてお手伝いができればと思っております。NAUI・NAUI JAPANの益々のご発展を祈念しております。
ダイビングを通じて様々な先生・先輩方に出会えました。色々と教えても頂きました。そこで自分が感じた「きれい」「楽しい」を伝えていきたいと思います。
青木 伸一(NAUI#34839)